あいまいな喪失(ambiguous loss):老年期の課題をどう支えるか

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あいまいな喪失とは

あいまいな喪失(ambiguous loss)とは、はっきりしないまま残り、解決することも、終結することもない喪失体験を指す。この概念は、家族療法の研究者であるポーリン・ボスによって提唱された。

曖昧な喪失は、主に二つのTypeで現れる。

本稿では、特にプライマリ・ケアにおいて頻繁に問題となるType2の『あいまいな喪失』つまり、認知症患者や重度の精神疾患を抱える患者の家族が経験する”心理的喪失”に関して論じていく。

なぜ『あいまいな喪失』が重要か

この『あいまいな喪失』の概念が重要である理由は、通常の喪失とは異なる点があるからである。認知症患者の介護者の『あいまいな喪失』を例にとって考えみる。愛する人が物理的には存在しているにもかかわらず、認知機能の低下により心理的には不在であるという状況により『あいまいな喪失』が生まれる。この体験は、通常の喪失とは異なり、明確な終わりがないため、介護者に長期的なストレスと不確実性をもたらす。また、終わりのない特性から通常の悲嘆プロセスが進行しにくく、適応や受容のプロセスに進むことが困難であり、将来への予期負担が募っていく。そのため、家族は長期にわたって不確実性と葛藤の中に置かれることになり、心理的ストレスや家族機能の低下につながる。

特にプライマリ・ケアにおいては、高齢者が多くの『あいまいな喪失』をライフサイクルの課題に立ち向かう中で経験しており、臨床において問題になりやすい。老年期は人生の重要な転換点であり、リタイアメント、退職、配偶者の死、終活、そして自身の死に向き合うといった重要なライフサクル上の課題が存在する。これらのライフサイクル上の課題は、あいまいな喪失の体験と重なり合い、高齢者の心理的負担を増大させる可能性があるため『あいまいな喪失』という概念は、高齢者が経験する独特の喪失体験を理解する上で重要である。

老年期の変化やライフサイクル上課題と『あいまいな喪失』の相互作用

1.身体機能の低下

高齢期における身体機能の低下は、『あいまいな喪失』の体験を増幅させる要因となる。例えば、視力や聴力の低下は、認知症の配偶者とのコミュニケーションをより困難にし、関係性の変化を加速させる。また、運動機能の低下は、介護者としての役割遂行に影響を与え、自己効力感の低下につながる可能性がある。さらに、慢性疾患の管理と介護の両立は、高齢者に多大なストレスをもたらす。

この状況下で、自身の健康管理と愛する人の介護のバランスを取ることは、新たな適応課題となる。結果として、自己neglectや介護の質の低下といった問題が生じる可能性がある。

2.社会的役割の変化とアイデンティティの再構築

老年期には、退職や子どもの独立など、大きな社会的役割の変化が生じる。これらの変化は、あいまいな喪失と相まって、アイデンティティの再構築を必要とする。例えば、長年勤めた職場を退職した直後に配偶者の認知症が進行した場合、職業人としてのアイデンティティの喪失と、配偶者としての役割の変化が同時に起こる。

このような状況下では、新たな役割や生きがいの探索が重要となる。しかし、あいまいな喪失による心理的負担は、この探索プロセスを妨げる可能性がある。一方で、適切な支援があれば、介護者としての新たな役割を通じて、自己の価値や人生の意味を再発見する機会ともなりうるのである。

3.「統合 対 絶望」の段階とあいまいな喪失

エリクソンの発達理論における「統合 対 絶望」の段階は、あいまいな喪失との関連で特に重要である。この段階で高齢者は、人生を振り返り、その意味や価値を見出すことが求められる。しかし、あいまいな喪失の体験は、この過程を複雑化させる。

例えば、長年連れ添った配偶者が認知症を患い、徐々に「その人らしさ」を失っていく過程は、共に築いてきた人生の意味や価値観を揺るがす。この状況下で、過去の経験を肯定的に受容し、人生全体を意味あるものとして統合することは、大きな挑戦となるのである。

4.死生観の変容とあいまいな喪失

高齢期には、自身や周囲の人々の死をより身近に感じるようになる。この死への直面は、あいまいな喪失の体験と相互に影響し合い、死生観の変容をもたらす。例えば、終末期にある配偶者との関係性の変化は、残された時間の過ごし方や、死別後の人生の再構築に関する複雑な感情をもたらす。

また、あいまいな喪失を経験することで、「良い死」や「尊厳死」に対する考え方が変化する可能性がある。認知症の進行に伴う人格の変化を目の当たりにすることで、生命の質や自己決定権に関する価値観が問い直される。この過程は、高齢者自身の終末期ケアの選択にも影響を与えるのである。

5.レジリエンスと成長の可能性

高齢期におけるあいまいな喪失の体験は、困難をもたらす一方で、レジリエンスと個人的成長の機会ともなりうる。長年の人生経験から培われた知恵や柔軟性は、この困難な状況への適応を助ける。例えば、過去の喪失体験を乗り越えた経験が、現在の状況に対するコーピング能力を高める可能性がある。

さらに、高齢者特有の時間的展望の変化は、現在の関係性をより大切にし、喪失体験に新たな意味を見出すきっかけとなることもある。例えば、残された時間の有限性を意識することで、日々の小さな喜びや感謝の気持ちをより強く感じるようになる高齢者も存在する。

『あいまいな喪失』への6つの対処

『あいまいな喪失』に対処するための6つの柱がポーリン・ボスにより提案している。(著者が一部改変) これには、『あいまいな喪失』を理解し意味を見つけること、不確実性を受け入れる(原著はmasteryを調整する)こと、アイデンティティを再構築すること、両価性(アンビバレンス)をノーマライゼーションすること、愛着の見直しこと、新しい希望を見つけることが含まれる。[1][2]

1.『あいまいな喪失』を理解し意味を見つける

『あいまいな喪失』の概念を理解することから始まる。この理解により、喪失感や不確実性について話し合うことが可能となり、患者の残存能力に焦点を当てながら、変化する状況への適応戦略を家族と共に考えることができる。

さらに、喪失体験に対して、信頼できる他者(家族や友人、そして医療者-患者関係)と共に”意味”や”名前”をつけることは、喪失体験を乗り越える助けとなる。これは単に状況を受け入れるだけでなく、その経験から学び、新たな視点や価値観を獲得することを意味する。

問い:「私は何を失ったのか、そしてこの状況は私にとって何を意味するのか?」

2.不確実性を受け入れる

『あいまいな喪失』の複雑な体験を受け入れ、その不確実性を「修正」することの難しさと、喪失が続くことを認識する。この受容の後、メンタルヘルスケアシステムの改善や適切な支援を求めることで、エンパワーメントの可能性が生まれる。変えられる部分と変えられない部分のバランスを見出すことで、レジリエンスを育むことができる。

3.アイデンティティを再構築する

新しい自分として現れることを許すことで、凍り付いた悲しみを解きほぐし始めることができる。

問い:「このあいまいな喪失を経験して以来、私は何者なのか?」「どうすれば目的を見つけられるのか?」

4.両価性をノーマライゼーションする

両価性とは、複雑で矛盾する感情を表す概念で、心の中で天使と悪魔が共存するようなものだ。この両価性の感情は『あいまいな喪失』に対する正常な反応であると認識することが重要である。この認識(ノーマライゼーション)を通じて、これらの複雑な感情を受け入れ、状況の曖昧さを理解するのに役立つ。

5.愛着の見直し

愛する人が物理的にはここにいながら、心理的にはいなくなったことを認識し、この矛盾する2つの現実を同時に受け入れることを学ぶ。これにより、あいまいな喪失による継続的な悲しみがあっても、レジリエンスを育み、重要な人間関係を維持し、有意義な生活を送るための余地が生まれる。

6.新しい希望を見つける

『あいまいな喪失』が解決されなくとも、人生は愛、喜び、価値、帰属意識を持って前進できる。進行中の悲しみという流動的な現実を経験しながら可能性を見出すことは、あいまいさに適応するプロセスの一部だ。ボスは人々に「あいまいさで遊ぶ」ことを勧めた。彼女が推奨するアクティビティには、釣り、即興演習、そして「道に迷う」ドライブがある。これらは、あいまいさへの寛容さを高め、新たな希望や夢を育む基盤となりうる。

家庭医は『あいまいな喪失』に対してどのような支援ができるか

これらの6つの柱に加えて、家庭医として行える支援が以下のようなものがある

1.家族志向のケアにより家族システムの安定化を支援

『あいまいな喪失』は、家族システムの変化や役割の再定義を必要とする状況を生み出す。例えば、一家の主であった父が認知症を発症した場合を考えてみよう。この父が家族の意思決定を担っていたとすると、その役割を引き継ぐ家族メンバーがいなくなり、ケアの調整が難しくなる。また、夫婦二人暮らしの場合、妻に介護負担が集中しがちなため、家族メンバー間での役割分担の見直しが必要となる。

このような状況下で、家庭医は家族志向のケアを提供することが重要だ。具体的には、家族ライフサイクルや家族図を用いたアセスメント、家族カンファレンスを通じて、家族システムや役割の調整を行う。さらに、家庭医自身も家族システムに積極的に関与し、必要に応じて意思決定のサポートを提供する。

2.包括的なケアの提供

家庭医は、介護者の身体的、情緒的、精神的、そして霊的ニーズに応える包括的なアプローチを提供することが重要である。このホリスティックなケアには以下の要素が含まれれる:

  • 定期的な健康チェック:介護者の身体的健康状態を定期的に評価し、必要に応じて適切な治療を行う。
  • メンタルヘルスのモニタリング:うつ病や不安障害などの精神健康上の問題を早期に発見し、迅速に対応する。
  • スピリチュアルサポート:介護者の信仰や価値観を尊重し、それに基づいたケアを必要に応じて提供する。
  • 統合的ケア:補完代替医療や心理療法など、さまざまなアプローチを組み合わせた総合的なケアを必要に応じて提供する。

3.継続性のある治療関係の構築

継続性は、『あいまいな喪失』を経験している患者や家族にとって特に重要である。長期的な関係性を通じて、家庭医は患者の複雑な感情や状況をより深く理解し、適切なサポートを提供できる。継続性に裏打された医師患者関係は『6本の柱』の土台となる。

このような継続的で包括的なアプローチを通じて、家庭医は『あいまいな喪失』を経験している患者や家族が、その状況を乗り越え、新たな意味と全体性を見出すプロセスを効果的に支援することができる。

4. 多職種連携と包括的アプローチによるhealingの促進

家庭医療におけるhealingは、患者の身体的・精神的・感情的・社会的・スピリチュアルな側面を包括する多次元的なプロセスであり、これらの全体性の回復を意味する。

『あいまいな喪失』においても、多職種連携やケアの調整を通じて、患者の苦痛を認識・軽減し、患者が現実的な目標に向かって前進し、機能を回復し、個人的なバランスを取り戻すことを支援できる。

このプロセスにおいて、家庭医は患者との信頼関係を築き、希望を育み、患者の全人的なニーズに応えるとともに、サポートグループや地域資源の活用を促し、患者自身の積極的な参加とコミットメントを引き出すことで、healing実現する重要な役割を担っている。

まとめ

『あいまいな喪失』の概念を家族医療に導入することで、患者とその家族へのケアの質が向上し、より全人的なアプローチが可能となる。特に認知症や下降期慢性疾患の管理において、この概念は患者と家族の経験をより深く理解し、適切なサポートを提供する上で有用である。医療者は、この概念を通じて患者や家族が直面する複雑な心理的プロセスを理解し、適切な介入を行うことができる。

また『あいまいな喪失』と高齢者のライフサイクル上の課題は密接に関連し、高齢者の心理的適応に大きな影響を与える。この関係性の理解は、高齢者への包括的なケア提供において不可欠である。適切な介入により、『あいまいな喪失』の体験を通じて新たな意味や価値を見出し、人生の最終段階においても個人的成長を遂げることが可能となる。この過程の支援は、高齢者のQOL向上と豊かな高齢期の実現につながる。

重要なのは、各介護者の個別のニーズと状況に応じた柔軟かつ継続的な支援の提供である。また、介護者自身のレジリエンスと成長の可能性を信じ、社会参加を促し、エンパワーメントを促進することも不可欠である。このような包括的かつ個別化されたアプローチにより、家庭医は認知症介護者が『あいまいな喪失』を乗り越え、新たな意味と全体性を見出すプロセスを効果的に支援できる。

参考文献

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