ふつうの相談とは
- 心理療法ではないけど、様々な臨床現場の中で自然にかわされる援助であり「素人」同士の相談の延長線上にある。
夫との関係に苛立ちを覚えている中年女性に対して
「多いですよね、同じように苛立ちを抱えている方は、、」
「やぱりそうですか!もう男ってどうしてあんなに人の気持がわからないんでしょうかね!!!」
- このような何でも無いような相談であり、雑談にも思えるようなこの「ふつうの相談」が治療的効果を持つことも頻繁に経験される。
- この「ふつうの相談」は、特定の臓器別専門領域や専門的な心理療法を持たない家庭医・総合診療医との親和性が非常に高く、その構造を理解する事は、臨床におけるメンタルヘルスケアの質だけでなく、様々な未分化な健康問題への対処能力を高めるであろう。
- 本稿は、一般的な心理療法の構造の解釈から始め、その後ふつうの相談の元となる「ふつうの相談0」について解釈した後に、「ふつうの相談」の構造の理解を進め、最後に総合診療の現場でどのように活かされるかについての考察する。
【参考文献】
東畑開人先生「ふつうの相談」
一般的な心理療法の構造<冶金スキーム>
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一般的な心理療法は冶金スキームで理解される。冶金スキームとは、学派的心理療法(認知行動療法、家族療法など)が純金として中心に位置し、その応用として現場的心理療法(小精神療法、〇〇現場で活かす認知療法など)が合金的な存在として位置すると考えるスキームである。
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学派的精神療法を中心とした冶金スキームには、現代の臨床心理学の支配的なモデルであり、いかに現場で専門性の高い支援を行うか?という課題に取り組まれてきた。
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このモデルにおいて、先ほどの「素人の相談の延長線上」のようなふつうの相談は、より末端の断片的で粗末なものとして捉えられる。一方で、実際の心理士臨床の現場においても、このふつうの相談が圧倒的多数を占めている。
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そのため、この冶金スキームから離脱し、新たなモデルを確立する必要がある。この新たなモデルの原点となるのが「ふつうの相談0」である。
ふつうの相談0(ゼロ)とは?
- 「ふつうの相談0」は、素人同士で交わされているケアである。忙しい同僚の仕事量を調整したり、喝を入れられたり、辛いときは飲みに誘ってくれたり、、などである。
- この全く洗練されていない原石である「ふつうの相談の0」がメンタルヘルスケアの起源であり、この「ふつうの相談の0」を各心理療法の溶鉱炉で洗練すると、学派的心理療法が生まれる。
ヘルスケアにおける、ふつうの相談0の位置付け
- このふつうの相談0は、ヘルスケアにおいてどのような位置に存在するのだろうか?あらゆる社会には人々が心身の不調に対応して、健康追求するためのヘルスケアシステムが備わっており専門職セクター(医師・心理士)・民俗セクター(占いなど)・民間セクター(友人・親戚・同僚など)から構成されている。このふつうの相談は、民間セクターに位置付けられる。民間セクターは、より大きな範囲をカバーしている。
- 実際、体調不良になった時は病院に行ったりすることはなく、民間の知恵(よく寝てよく食べるなど)や友達に話を聞いてもらうなど、民間セクター内で解決されることが多い。専門職セクターや、民俗セクターに問題が持ち込まれるのは、民間セクター内で処理しきれなくなった時である。(最近は、この民間セクターの力が弱くなってきている!!)
- また、実際のところ専門職セクターでの治療のほとんどは、民間セクターで行われる。薬を飲むのも、環境を調整して生活してみるのも民間セクターで行われるりつまり、専門家によってなされる事は、民間セクターで行われるケアの再調整にすぎない。
ふつうの相談0と心理療法の「説明モデル」違い
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治療者は、特定の理論的枠組み(精神分析・家族療法・認知行動療法など)が示す「説明モデル」を用いて、問題を定式化して説明して、それに基づいて介入する。(〇〇という認知のせいで、あなたはこのような行動を取るのだから、認知に注目して、、など)
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この専門家が提示した「説明モデル」がうまく納得できないと治療は中断されることになる。つまり、心理療法による治療というものは、この理論が示す「説明モデル」を通じて、人間をある種の生き方へと象っていく営みであると言える。
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民間セクターで交わされている素人同士による治療である、ふつうの相談0における「説明モデル」は、専門的な理論に基づくものではなく、素人たちが素朴に抱いている自己や他者の心についての理解である。この、自己や他者の心についての理解は3つの概念から説明できる。
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個人症候群:体の不調を個人の文脈として物語ろうとするときに現れる「病名」である。自分自身で、〇〇をする時は毎回こんな感じになるなと思ったり、〇〇の時に調子悪いもんなと言われたりする時は、その不調は個人症候群として「民間セクター」で扱われている。〇〇病というふうに名前をつけて医療化せずに、例えば、いつもの週末のブルーな気分などと名前をつけて、民間セクターで扱う。
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熟知性:熟知性とはつまり、よく知っているということである。不調を個人症候群として扱うためには、「個人」をよく知っている必要がある。個人にどういう背景があり、どのような環境に今いるか等を良く知っているからこそ、気分障害圏ではなく「個人症候群」としてとらえる事ができる。熟知性は不調を個人の物語にまとめ上げるための膨大な材料を提供してくれる。よく知っているからこそわかるアドバイスや配慮を通じて、環境調整・問題の知的整理・直面化などがなされる。それらが、日常にあった関係性の延長上で自然になされるところにふつうの相談の真骨頂がある。
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世間知:世間知とは、学校知(学校で学ぶ知識)と対比された概念で、世間を生きていく上で学ばれる人間と社会についての知のこと。常識・良識と呼ばれるような知の総体を指す。この世間知には2つの側面(『心』に関しての知、『社会』に関しての知)がある。
- 『心』に関しての知:アカデミックな心理学とは関係なく、人々が誰もが持つ心についての素朴な理解を指し、逸脱的な行動を『疲れているから仕方ない』など物語化し、説明モデルを与えてくれる。
- 『社会』に関しての知:身の回りの環境に関する知識を指す。〇〇という役職であれば、△△というように振る舞うのが良いなどいわゆる『先輩の知』である。
これら2つの世間知の側面が、ふつうの相談0の説明モデルとなっており、メンタルヘルスの不調を医学的疾患ではなく、個人的な困難として理解し、対処に関する指針を提供する。
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つまり、ふつうの相談0は、熟知性を背景として、世間知を説明モデルとしながら、個人症候群という『病名』をつけながら、ほとんどのメンタルヘルスの問題を民間セクターで取り扱っている。
- このふつうの相談0は、相談を受けた人が、今までどのように生きてきたか・癒やされてきたかが影響し、非常に多様である。時に人を癒やし、時に傷つける。この多様性こそが、心理療法の原石であり、そこには認知行動療法や精神分析、トラウマケア、ソーシャルワーク、家族療法などの諸要素が混ざり合って存在している。
ふつうの相談0の限界
- 熟知性を元にしたケースバイケースの対応をしていたが、周囲の人も個人もどうしていいか分からなくなっている時。よく知っているはずの人がよく分からなくたっている時には専門知が役に立つ。専門知が、説明モデルを通じて、わかるものにしてくれる補助線を提供してくれる
- 世間知が一枚岩ではない場合やマイノリティに属する場合も、ふつうの相談の限界を迎える。(団塊の世代のアドバイス、ジェンダーの問題など)
- よく知らない場合:近代のプライバシーが重視されるようになり、そもそも同僚や友人のことをよく知らないことが多い。このような社会背景から、ふつうの相談0が機能せず、専門家による相談が求められることが多い。
ふつうの相談
- ふつうの相談0で限界を迎えた時には、民間セクターで抱えるのが難しくなり、専門家に相談が持ち込まれる。ふつうの相談は、ふつうの相談0を二つの側面から洗練し、新たな「説明モデル」を生み出す相談方法である。
学派知という側面からの洗練(学派知と世間知のすり合わせ)
- これらの相談に対処するために、各学派的心理学者は、ふつうの相談0の原石を取り出して精錬し、いわゆる『心理療法』というテクノジーに洗練し、言語化し、操作できるようものにしてきし、難しい問題に対しても『説明モデル』を提供することができるように開発してきた。
- 一方で、精錬された『心理療法』の説明モデルからこぼれ落ちる問題や患者を扱うことができなくなったり(専門外ですと言われてしまう)、またその鋭さから傷ついてしまう人も存在する(認知行動療法で救われる人もいれば、直面化することで傷ついてしまう人もいる)というデメリットが存在する。
- この精錬される課程で精錬をするプロセスを途中で(丁度良いところで)やめて生まれるのが『ふつうの相談』である。
- 問題の理解自体は、『心理療法』の学派知によってなされるが、判断の局面においては世間知によって補正される。(DiseaseとIllnessをすり合わせる過程に類似している)
- 精錬が途中である事は、様々な他の精神療法の雑味を残すことを意味しており、多様性のある対応を可能にし、ひとまずの解決を目指して手持ちの材料でなんとか引き受けることを可能にしている。
現場知という観点からの洗練
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現場知とは、体系的な理論である学派知とは対照的に、それぞれの現場で断片的かつローカルな『臨床の文化』であり、現場における「あるある」のようなものである。
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この現場知には、二つの側面がある。一つはハードな側面で、臨床現場をめぐる法律や制度などヘルスケアシステムにおける役割に関する知である。現場で働く中で制度を理解していき、身についていく知である。
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もう一つはソフトな側面で、より心理的で経験的なものである。例えば、スタッフの得意不得意や人柄、調子の悪い患者の休息の場所、特定のトラブルに対してはどの様な対処がなされることが多いのかなどである。それぞれの臨床場面における「ふつうな治療法」が経験を通じて学ばれていく。
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これらの現場知は、その現場が持つ治療的な力についての知識とも言える。そしてこの治癒力は多職種チームにより形成されている。
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ふつうの相談は、ふつうの相談0をそれぞれの現場の「あるある」や現場の持つ治癒的な力に合わせてローカライズする中で生まれるものである。
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つまりふつうの相談は、熟知性を背景として、世間知を説明モデルとしながら、個人症候群という『病名』をつけながら、民間セクターで行われてきた「ふつうの相談0」を 新たな説明モデルを見つけるために、さまざまな学派知に洗練する過程で生まれ、学派知に基づいて解釈を世間知・コンテクストで補正しつつ 現場知をもとにそれぞれの現場にローカライズされた 個別性の高い3つの知(世間知・学派知・現場知)がバランス良くミックスされた臨床知に基づく、相談と臨床判断である。
実臨床におけるふつうの相談
- ふつうの相談は実臨床でどのような問題に対して、どのような技法を持ちいて、そしてどのような機能を持つのだろうか
ふつうの相談の問題形態
- 問題が外在化している(パーソナリティや気分の問題ではない)
- 緊急性がない
- 患者が目の前の問題の解決を望んでいる
ふつうの相談の技法
- 聞く:基本だが、セラピーよりは聞くの少なめ。具体策を望んでいる
- 質問:安全性の高い質問
- 評価:社会的価値に基づき、客観的評価を与える。具体的には、一般化や承認による孤独緩和などにより、自己の主観的世界における混乱から抜け出せる
- 説明する:知的な説明が心理教育的に作用する。クライアントの苦悩のメカニズムを明らかにする。
- アドバイス:何がどうなると風通しが良くなるか?(課題の方向性)状況や困りごとに応じた現実的なアドバイス(例や自己開示を含む)
- 説明とアドバイスがセットになっていることが必要
- 環境設定:学校、職場などと連携し、サポーターを増やす
- 雑談:クライアントがどのような世界に住んでいるかを理解する
ふつうの相談の機能
- 外的ケアの準備(家族療法的):資源の拡大、多くの人が見守る環境が整ってやっと心の問題に対処できる。このソーシャルワーク的な力が重要。内的世界に焦点を当てがちな心理専門家と違い外からアプローチしていく。
- 問題の知的整理(認知行動療法的):正しい知識や整理を通じて、個人の内の変わりやすい部分を変える。意識や理性など。自我が強化される。
- 情緒的サポート(動機づけ面接的):外的ケアの準備と問題の知的整理の後に、情緒的サポートの獲得に進める。知性を持ってラポールを形成し、相談できる場所としての外的資源の一つとなる。
- 時間の処方と物語の生成(精神分析的):切迫していた不安は時間の流れの中で増減しながら徐々に現実的になっていく。心も少しずつ安定を取り戻し新しい事態に対応していくことになる「時間こそが変わりにくい部分を変えていく力」であり、1人ではやり過ごすことができなかった自己破壊的な時間を共に持ち堪える。これが時間の治癒力を発現する。
ふつうの相談の構造と総合診療
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ここからは、著者による解釈となる。これまで紹介してきたふつうの相談の構造を総合診療における相談に当てはめることで、メンタルヘルスの相談だけでなく、未分化な健康問題への対処に適応できると考える。
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まずふつうの相談の原点となっていた「ふつうの相談0」は、総合診療やプライマリケアの文脈で考えると「病気への対処行動」が該当する。一般的な睡眠や食事などのライフスタイルを変えたり、家族に相談したり、薬局で薬を買ったり、お粥を食べたり、首にネギを巻いたりなどなどである。これらの「対処行動」は「ふつうの相談0」と同じように世間知と熟知性を背景に、民間セクターでなされる。この「対処行動」で対処しきれないと判断された場合は、病院を受診することになる。
- 患者の「対処行動」の背景にある世間知を理解し活用することは重要である。例えば、患者が症状に対してどのような民間療法や自己対処を行っているか、それらがその地域や文化でどのように位置づけられているかを理解することで、より適切な医療アドバイスや介入を行うことができる。
- 近年、メディアによる過度な医療化(〇〇があれば重大な病気の始まりかもしれない、夜中でも病院へ!)や、他者との関係の希薄化によりこの民間セクターがどんどん小さくなってきている!!そしてプライマリケアを飛び越えて、セカンダリーケアに繋がることが多い。
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プライマリケアを受診した際には、まずこの問題を医療化するかどうかを判断する。判断するためには、**継続性のある関係の中で積み重ねられた患者の情報(医師患者関係に基づく熟知性ともいえる)**を元に、適切な臨床推論を発動しながら、「個人症候群」として、つまり「いつものAさんのだるさ」として経過を見るか、もしくは「医療化」して臨床推論・治療を行うかを決定する。
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「個人症候群」として経過を観察できない、つまりいつもの〇〇さんとは違う状態だと判断されれば、
- 各臓器別専門領域の知識(学派知):循環器内科や呼吸器内科、脳神経外科などの臓器別専門医の専門知の中で、特殊な手技を要さず、エビデンスが確立された診断・治療。
- セッティングにおける事前確率やケアチームの特徴に関する専門知識(現場知):プライマリケアにおいては発熱は感染症が多い。困った時はあのケアマネさんに頼ったらなんとかなるなど
により、臨床判断がなされる。
新しい「ふつうの総合診療」モデル
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つまり「ふつう総合診療」は
- 熟知性を背景として、世間知を説明モデルとしながら、「対処行動」が民間セクターでなされていた症状や病気が、民間セクターで抱えきれなくなり、受療行動に至った際に
- 継続性に基づく患者に関する知識を元に臨床推論を行い、個人症候群として経過を見ていいかを判断し、医療化を要すると判断した場合は
- 各臓器別専門領域の知識と、それぞれのセッティングにおける事前確率やケアチームの特徴に関する専門知識を用いて、臨床判断がなされ
- 臓器別専門領域の専門知を要すると判断された場合は紹介されるという
モデルであると言える。
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この「ふつうの総合診療」は、4つの知つまり(世間知・継続性に基づく患者に関する知識・各臓器別専門領域の知識(専門知)・セッティングにおける事前確率やケアチームの特徴に関する専門知識(現場知))がバランス良くミックスされた臨床知に基づく、相談と臨床判断といえる。
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「ふつうの総合診療」のモデル図は以下の通りである。中心は、民間セクターで行われる患者の対処行動である。この対処行動が原石であり、その中で対処できなくなった症状・病いがプライマリ・ケアに「未分化健康問題」として持ち込まれる。プライマリ・ケアではジェネラリストにより医療化するかを検討され、医療化された場合は、「ふつうの総合診療領域」でケアされる。この「ふつうの総合診療領域」におけるケアは、それぞれのセッティングにおける事前確率やケアチームの特徴に関する専門知識に基づいた臨床判断がなされる。それでも、さらなる専門知を要する症状と判断された場合は、「ふつうの総合診療」が、徐々に臓器別専門医の専門知に精錬されていく。この精錬されていく過程で、心理社会的側面や、実存的側面、そして他の専門領域の専門知は削ぎ落とされていく。
まとめ
- 「ふつうの相談」は、日常的な対人関係の中で行われる援助の延長線上にある概念である。この概念を総合診療に応用したのが「ふつうの総合診療」モデルであり、患者の対処行動を原点とし、プライマリ・ケアでの医療化の判断を経て専門的なケアへと進む。このモデルでは、継続性に基づく患者情報、臓器別専門知識、セッティングの特徴に関する知識を組み合わせて臨床判断を行う。結果として、未分化な健康問題への対処能力が高まり、より適切な医療提供が可能となるだろう。
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