本稿は全4回からなるMedically Unexplained Symptoms(MUS)つまり、医学的に説明のつかない症状に関するレビューの第1回目です。
- MUSを抱える患者の体験
- MUSを診療する医療者の体験
- MUSへのアプローチ:4つのコンポーネント
- MUSを診療するために何を学ぶべきか?
複数のMUSに関するレビューを参考に構成されています。本稿が、膠着状態になりやすいMUS診療の、次の一歩を踏み出す手助けとなれば幸いです。適宜リンクを作成しているのでご参照ください。
第1回目では、MUSに関する総説と関連する因子、そして普段語られないMUSを抱える患者さんの医療体験について紹介します。第2回のMUSを診療する医療者側の体験との2回で「医学的に説明のつかない症状を抱える患者」という診療の構造がどの様な特徴を持つか?という知識を得ることを目標としています。その上で、第三回のMUSへのアプローチを読むことで、アプローチの理解がより深まります。
MUSとは
- 医学的に説明のつかない症状(Medically Unexplained Symptoms:以降MUS)は、適切な医学的検査の後でも明確な生物医学的原因に帰せられない身体的症状を指す。[1]
- 言い換えると、現段階での身体的または精神医学的病態は十分に精査・治療されているが、患者の示す臨床症状が十分に解消されていないという仮定に基づく、現在進行形の仮説である。
- MUSの一般的な症状の例には、疼痛、疲労、めまい、頭痛、腸の運動の変化、視覚および聴覚の障害が含まれる。軽度で自己限定的な症状から重度の障害など様々である。これらの症状は、重大な機能的障害または苦痛を引き起こし、それが不安、うつ病、健康不安、を引き起こす場合がある。
- MUSを抱える患者(以降MUS患者)の苦痛は非常にリアルであるが、広範な医療評価と介入にもかかわらず、治療は通常効果が乏しいことが多く、しばしば「頻繁に受診する」患者となり、長期間にわたり医師の業務負担を大幅に増加させる。[2]
MUSの予後とリスク因子
- MUS患者の大半の予後は非常に良好である。約70%の患者では、症状は数ヵ月以内に自然に寛解し、症状に対処する方法を見つける。しかし、約30%の患者の問題は慢性化し、QOLの低下と高い受診率につながる。[3]
- 予後不良に関連する因子に関して、2年以上続く身体症状・小児期の身体的または性的虐待・精神疾患の既往歴・進行中の心理社会的ストレス要因などが報告されている。また、慢性的な生活上のストレス(例:非常に不幸な結婚生活や虐待的な結婚生活、あるいは末期疾患のパートナー)も、MUSを長引かせる可能性がある。過敏性腸症候群の患者を対象としたある研究[4]では、慢性的な生活ストレスを経験した参加者のうち、2年間にわたって症状が改善した人はほとんどいなかったと報告している。
- 特定の年齢・性別もMUSと関連している。ノルウェーで行われた集団研究[5]では、MUSを訴える女性が男性より2.5倍高いことが示された。またこの研究では、年齢と最近発症した症状との間に逆相関があることも示された。(すなわち男性と高齢者は症状を報告しにくい)
MUSの要因
- 素因となる要因、促進要因、永続化する要因を理解することが、MUSを理解するうえで役立つ
- 素因となる要因(例:遺伝、現在の生活上のストレス、家族内の病気経験、幼少期の不利な経験、セルフケアに十分な時間がとれないなど)
- 促進要因(例:トラウマ、愛する人の喪失、病気、 精神疾患、困難な生活環境など)
- 永続化する要因(例:運動能力の低下、誤った帰属、社会的支援の欠如など)
- 近年MUSの心理社会的要因との関連を調べる研究が進められている。これには、ストレスに対する将来の反応を形成する可能性のある幼少期の経験や、症状の発現を促進する可能性のある現在の出来事などが含まれる。
MUSの患者体験
“慢性持続性の症状(PSS)を抱える患者の診断の旅”での経験
- 慢性化したMUS患者のほとんどは、**持続性身体症状(persistent physical symptoms:以下PSS)**を訴える。この[慢性持続性の症状を抱える患者の診断の旅”での経験]のセクションでは、PSS患者の患者体験に関する前向きコホート研究[8]を引用しながら、MUS患者の体験を考察する。
PSSが形成する未文化な問題
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PSSは生活のあらゆる面に影響を及ぼす。痛みに圧倒され、日常の家事や楽しい活動ができなくなり、他人に頼よらざる負えない状況に陥り自律性を失ってしまいかねない。
「そう、だって、洗濯をしたり、夕食を作ったり、そんな簡単なことさえできない日があるんだもの」
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また慢性の症状は気分に影響を与える。
「もし、起きた時にいつもより痛みが強かったら、かなり動揺してしまいます。それは私の気分に影響を与えます。足の爪がうまく切れないのも、シャワーを浴びているときもイライラします。靴下を履くときもそうです。うんざりするほどです」
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このようにPSSは苦痛や気分への影響をもたらし、また苦痛や気分への影響がPSSを増強する循環的かつ相互作用的な関係にある。PSSがコントロールされないと、気分を害し、それがまたPSSを悪化させるという負のスパイラルに陥り、最終的には、うつ病などの気分障害をきたす。この相互関係の中で、PSS、苦痛、うつ病による症状は重なり癒合してキメラ状態となり区別することが困難な”未分化な問題”を形成する。
PSSがもたらす恐怖と不確実性
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PSSは、患者本人には様々な苦痛をもたらしているが、他人からは見えづらく、苦痛や信じてもらえないという恐怖を感じている。この恐怖が医療従事者を含む人間関係への影響に拍車をかけている。また症状は年々増悪し、**自分がどうなっていくか分からない”不確実な状況”**が続き、さらなる恐怖・不安をもたらす。
「一番つらいのは、自分がそれを経験しているという事実だけでなく、そのことに耳を傾けてくれる人が誰もいないことです」「年をとればとるほど、痛みはひどくなります。私が苦しんできたこと、過去20年間に強さと頻度が増してきたことは、止まらないだろうし、続くだろうし、恐ろしいのは、自分のことがコントロールできなくなる段階にまで行くかもわからないということです」
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ノルウェーで行われたMUS患者の診療体験に関する質的研究[9]ではこの不確実性を背景に、MUS患者は、医師との間での対立や信頼関係の崩壊を経験し、自己決定権を求めて戦っている事が報告された。
「私がどれだけ戦わなければならなかったかは信じられないほどです。」
- 医学的不確実性の中で、患者の経験や視点を医師が適切に認識しないことが、患者の不満や不安の主な要因であることが示唆されており、患者と医師のパートナーシップが改善されることで、医学的不確実性に取り組む上での課題が克服され、より人間中心の医療が実現される可能性がある。
行き詰まり
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PSS患者は不確実な状況の中で、途方に暮れ、道に迷い、前進する方法がなく”行き詰まった”と感じ、助けを求めなんとかプライマリ・ケアに辿り着く。しかし医師も、このPSS患者を管理するための選択肢が限られており同じく”行き詰まった”と感じ”**治療的ニヒリズム”**に至る事がある。
“治療的ニヒリズム“
私たちができることはあまりありません。私たちが解決できることについては、患者が受けるべき検査をすべて受けたかどうかを確認し、ペインクリニックに紹介されたかどうかを確認し、適切な薬を試し、患者の精神衛生について考える以外には、私たちにできることはあまりないのです。そのように、私たちは患者さんと同じように、この状態を改善するためにできることは多くないと思います。
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医師はこの”行き詰まった”感覚が、患者が診察へ不満につながる可能性と示唆している。
患者は痛みがなくなることを望んでいますが、慢性的な痛みでは必ずしもそうとは限りません。そうすると、両者ともおそらくかなり不満を持っていて、実際にはあまり進展がないため、会話が進まないということになります。そうすると、おそらく別の開業医のところに行って、運試しをすることになり、また同じ話が始まるのです。
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医師が行き詰まり、プライマリケアで管理できない症状を抱える場合、専門医に紹介される(もしくは直接専門医を受診する)事が多いが、専門医に紹介された後も困難<ケアの断片化>が待ち受けている。
ケアの断片化
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患者の症状に対する診断や説明、治療法の探求をする”旅路”の中で、ほとんどのPSS患者はケアの断片化を経験していた。一部のPSS患者はケアの断片化を、医療専門家同士の「匿名性の談合」に陥ったと表現した。つまり、診断の過程でどの医療専門家も主導権を握らず、専門家から別の専門家への相互紹介のサイクルにはまり込んでしまったと感じていた。
医師は原因が掴めないと、紹介状を作成して次の専門家を紹介します。紹介状では、「これとこれを除外しました」と説明します。だか、紹介を受けた専門家はまた*“除外された“*疾患について話し始める。この繰り返しは、とても長い間続いた。私は「お互いに話してください」と思っていました。
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この「匿名性の談合」の問題は医療システムの問題も孕んでいる。それはプライマリ・ケア医が二次医療の医療専門家からしばしば見放されることである。専門医の診察の後に、情報がプライマリ・ケアに戻らず、患者さんと紹介状が一人歩きすることがある。プライマリ・ケア医や他の医療専門家は、これらの問題を認識し、患者を他の医療専門家に紹介する際の協力の重要性を認識すべきである。
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また患者は診断のために、出会った医療専門家から伝えられた矛盾した情報に対処しなければならず、患者は困惑していた。
整形外科医は関節症だと言ったが、内科医は関節症ではない、線維筋痛症だ と言った。私は「私は関節症ではない」という事実を処理する必要があった。
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このように、PSS患者は助けを求める旅路の中で、ケアの断片化を経験しており、その度に失望し、混乱をきたしている。
MUSとスティグマ
- 診断の旅の中でMUS患者が体験する不確実性や恐怖・行き詰まり、そしてケアの断片化について見てきた。この様な体験に加えて、MUS患者は「スティグマ」を経験することが多い。
- MUSを抱え、ある一定の診断が得られない場合は、本人や周囲の人間が症状を理解するための一貫した解釈を欠いてしまい[10]MUS患者はスティグマや恥を経験する。[11]
- また背景にメンタルヘルスの課題や精神疾患が存在する場合は、より複雑な問題となる。現代文化では、これらの疾患は物理的疾患よりも実在性や正当性が低いとしばしば見なされており、それらは「頭の中のこと」とされている。また、西洋文化では、心の症状は道徳的な弱さとしてみなされることがあり、心の働きは、症状や病気ではなく、選択と責任であると考えられている。つまり心の疾患というラベルを受け入れることは、深く不快な社会的スティグマを受け入れることを意味する**。**
- このスティグマに影響され防衛的になり、MUSを持つ患者は、自身の正当性を主張して、真剣に受け止めてもらえないと不満を訴えることがよくある。一方で「気の狂った、怠けている、病気が治った、弱い」患者ではなく、病気や障害にもかかわらず強い「良い」患者になろうと努力している。[12]
MUS患者の医療への期待や認識とは?
- これらの診療体験や、スティグマを背景に、MUS患者は医療や自身の症状に対してどの様な認識・期待を持って医療機関を受診するのだろうか?
- 医療への期待や認識に関して、MUS患者15名に対する質的研究[13]では、ほとんどの患者は、苦しみの根底に心理社会的な原因があると認識しているようであった。これらの患者は、予想よりも多くの薬物療法を受け、診断検査の依頼は少なかった。
- MUS患者には、不定愁訴に関連した説明と恐怖がある。患者が診察に訪れるのは、症状があるからではなく、その症状について何かを考えているからである。患者は、薬物療法を受けることが多いが、必ずしも薬物療法を期待しているわけではない。診断的検査は、関係を維持・構築するための手段となり、また投薬や検査は、患者やその症状に対する臨床的関心を表明する儀式となりうる。
MUS患者は否定的な「belief」を持つ
- belief(信念)は、医療を受けるかどうかの決定や、患者と医師とのコミュニケーションに大きな影響を与える。MUS患者は、より否定的なbeliefをもち、健康状態も悪い。[15]症状に対する否定的な感情表現とその性質に関する不確実性は、診察に対する患者の満足度が低さ、身体的・精神的健康の低下、2年間の健康状態の改善・悪化の欠如と関連している。[16]
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