解釈的医療によるCrietive capacityの支援-総合診療の専門性-

何が問題か分からない患者さんのケア

はじめに

 

総合診療医・家庭医は専門性がないよね.

何をやっている科なの?

総合診療ってなんの病気をみてるの?

 

他科の先生や医療スタッフ,患者さんからの言葉を聞き続けて家庭医療・総合診療のレジデントは研修を続けている.研修を続けるうちに,総合診療ってなんなんだろう?とアイデンティティー・クライシスに陥ることも多々ある.

 

一方で目の前の患者さんには,総合診療医が間違いなく必要であるという確信があり,患者だけでなく地域の役にたっている自負があり,患者さん・家族とのまた,地域の医療介護職との関係性は総合診療に熱中させる.

 

そんな葛藤を抱える総合診療・家庭医療レジデントに必要なのは,総合診療・家庭医療の専門性に関して,納得できる説明である.Joanne Reeveが提唱した解釈的医療という概念は,現代のプライマリ・ケアにおける総合診療医の本質的な役割を明らかにするのに役立つだろう.

 

 

 解釈的医療とは

日常生活を維持する上で個人の創造的能力を支援するために,個人の病気の体験の動的,共有探索と解釈における適切な範囲の知識を批判的,熟考的,専門的に使用すること

 

 

今回の記事では,まずこれまで実践してきた診療モデル(病理学的疾患モデル)を振り返り,診療モデルをプライマリ・ケアに適用する際に起きる問題を提起することで,プライマリ・ケアにおいて有用なモデル(解釈的医療)を提示する.解釈的医療において重要な要素である創造的能力について考察する中で,総合診療・家庭医療における専門性と社会への貢献(持続可能性)について述べ,総合診療医のアイデンティティ構築に役立てたい.

 

なお本稿は

Reeve J. Interpretive medicine: Supporting generalism in a changing primary care world. Occas Pap R Coll Gen Pract. 2010 Jan;(88):1-20, v.

を参考文献とし,記事を意訳したものとなっている.詳細は本論文を参照していただきたい.

 

現在のモデル(病理学的疾患モデル)

 

まずは現代の診療において主流である病理学的疾患モデル(pathological disease model)を紹介する.病理学的疾患モデルは,病気を”健康”な状態からの逸脱つまり”異常”と捉え,その”異常”の修正によって”健康”が回復すると捉えられる.この病理学的疾患モデルは,病気の状態を客観的に評価・測定でき,有効性を定量化することができるため非常に効率的なモデルである.

病理学的疾患モデルは,還元主義+機械論により成り立つ.還元主義とは,疾患に対して分子まで遡り原因を突き止めていくという考え方で,見つかった”壊れているところ”を直せば病気は治るという考え方を機械論という.

 

しかし,この病理学的疾患モデルを,プライマリ・ケアで扱う際には問題を生じうる.

 

プライマリ・ケアで扱われる問題

 

プライマリ・ケアで扱われる問題は,複雑性が高くで未分化な問題が多いことが特徴である.つまり,還元主義的な考え方では,原因を突き止めきれず(診断基準を満たせず),どこを”直せば”よいかわからない問題に溢れている.

 

プライマリ・ケアでは病気がもたらす個人的・社会的影響に対しての支援を求められ,また社会的混乱がもたらす病いにも対応しなければならない.これらの問題は病態が確認できない場合があるが,それでも病気を管理しなければならい.

 

複雑性が高く未分化な病いの体験を扱うためには,1)エビデンス2)患者自身の病気に関する意味づけ3)医師の経験に基づいた病気に関する解釈 を統合し,エビデンスに基づく”確かな”知識を個人に適用しようとする際に生じる不確実性に対処することが求められる.これらの過程はEBMの実践における5つのStepのうち,Step4「患者への適用」で示されている.

 

 

一方で,これらの病理学的疾患モデルやEBMをプライマリ・ケアに適用する際には生じうる問題が存在する.

 

現在のモデルやEBMをプライマリ・ケアに適用する際の問題

 

病理学的疾患モデルやEBMをプライマリ・ケアに適用する際に生じうる問題として

 

  1. 治療の目的やニーズに関する医師-患者間のギャップ
  2. 医師の説明責任への影響
  3. 持続可能性に関する問題

の3つが挙げられる.

 

治療の目的やニーズに関する医師-患者間のギャップ

 

病理学的疾患モデルやEBMにおいては,医師が問題を定義しアウトカムを設定することが多い.臨床推論においては問診・診察からプロブレムリストを作成することであり,EBM実践におけるStep1は問題を定式化することである.この過程において患者は,問題やアウトカムを決められてしまいかねない.さらにエビデンスという知識の差が医師-患者間の相互作用を制限し,目的やニーズを共有する機会を損失することで自律性を失い「まな板の上の鯉」状態となり,患者は自律性を手放してしまい,思わぬ医原性障害の一因となる可能性がある.

 

また病理学的疾患モデルでは診断基準を満たさなければ治療することが出来ないため,医師は正常であることを強調し「病気はありません.大丈夫ですよ.」と安心させようとする.この正常化が過小医療につながる危険性があり,患者のニーズを満たせない原因となりうる.診断基準を満たし治療をする段階においても,高齢化とライフスタイルの変化により複数の病態が混在する現代社会において,個々の疾患に対する診断・治療プロトコルを厳格に適用することで過剰な医療やポリファーマシーを引き起こすこともある.

 

病理学的疾患モデルやEBMにおいては「正しい」が,治療の目的やニーズに関する医師-患者間のギャップが埋められず,個々の患者のQOLを最適にサポートできないかもしれない.

 

 

医師の説明責任

 

医師は病気を解釈する際に,客観的な指標やエビデンスを用いての説明責任が求められており,特に科学的知識を重視する文化圏では,エビデンスの重視により患者の信頼感を高めることも期待される.一方でエビデンスを重視することは,患者に「確実性」を期待させることにつながるかもしれない.医師が科学的説明の決定者であり,最高の知識者で「確実」な存在となってしまうことで,「不確実」である患者個々の病気の解釈を利用することが困難となり,特にエビデンスと患者の病気の解釈が対立するときには大きなすれ違いを生むだろう.

 

またエビデンスを重視する考え方では,ガイドラインから逸脱した治療は擁護されにくく,まるでエビデンスを提供することが医師の仕事となりかねない.目の前の患者個人の個別性を解釈し,医療を提供するという仕事を手放し,結果として「患者の専門家」としての説明責任を欠くことにつながっている.

 

持続可能性

 

病理学的疾患モデルは,説明が困難な症状に対して,正当性と治療を得るために,診断が困難な疲労,ストレス,苦痛などに対して○○症候群等の「病名というラベル」を張り,病気として治療可能とされる領域を拡大した.エビデンスに基づく診断基準や検査・治療が確立され,医療のコストが急騰している.

 

また,説明が困難な症状をラベルを貼り,「確実」な知識と測定可能な変化を重視することでラベルへの注目と,病いの体験の一部に過ぎない下流の治療への重点化が起こった.薬物療法を行う人が増え続け,薬物モニタリングの必要性,多剤併用や薬物相互作用の影響,生活習慣や社会的要因に取り組む必要性に注意を向けることによる機会費用など,新たな問題が生じ,コストが膨れ上がっている.持続可能性を考えた際にはもっと上流の「不確実」な領域(SDHなど病気や疾患のより広い社会的原因を治療すること)へ立ち戻ることが求められる.

 

これまで病理学的疾患モデルやEBMをプライマリ・ケアに適用する際の問題を述べてきた.では,プライマリ・ケアで求められる診療のモデルとはどの様なモデルであろうか.

 

プライマリ・ケアにおける診療モデル「旅」

 

病理学的疾患モデルやEBMにおいて,”診察”の役割は医師が患者の病気に関する”真実”を明らかするために必要な情報を引き出すための過程として捉えられている側面がある.そして正しい診断・治療が目標となる.この過程をKvaleらは「採掘」と例えた.

患者は発見されるべき情報が入った受動的な器であり,医師は器を採掘する能動的な存在であるという比喩である.この「採掘」は,未分化で複雑なプライマリ・ケアでは,確かなものが見つからない可能性があることや,この「採掘」がもたらす患者の受動的な地位が問題をきたす可能性があることをこれまで述べてきた.

 

患者は,ケアを受けるだけの存在ではない.むしろケアに関する知識を積極的かつ高度に利用している.例えば,どの種類・レベルの症状であれば経過を観察するか,薬局に行くか,補完代替医療(鍼灸や整体など)を利用するかなど,個人が健康状態・健康ニーズに対応するために必要な適切な治療法について,さまざまな知識(おばあちゃんの知恵も含めて)を駆使して高度な評価を行っている.「採掘」がもたらす患者の受動的な地位は,患者に自分自身の健康を理解し管理するという積極的な役割を手放させている

 

これらを踏まえ,プライマリ・ケアにおいては「採掘」ではなく「旅」を始めることを提案する.「旅」のモデルにおいて診察は,医師-患者はお互いが能動的・受動的な立場ではなく,診療は「医師-患者の相互関係を通じて,病いの体験に新しい意味を生み出し,人生を上手に「旅」をし歩み続けるための社会的活動の一つ」として捉え,診察の後に続く患者の人生の方向性と性質に影響を与えることを目標とする.診察の目標が診察室の中から,個人の人生を生きる能力に移り,診察の質は,その後の人生への影響という観点から評価される.

 

具体的にこのモデルでは,医師-患者お互いが,病気の経験に関する意味付けと今後の計画を作成するために,お互いの個人的・専門的・科学的な説明を解釈し,統合しながら共に旅をし,両者のニーズを満たすような病いについての意味付けを構築していく.この過程では,両者が解釈的な役割を果たしており,医師と患者の相互作用の中で新たな知識や能力が生成される.創造された知識や能力が,生活を支える糧となり,今後のQOL向上をきたすだろう.

 

このような日常生活を維持する上で個人の創造的能力を支援するために,個人の病気体験の動的,共有探索と解釈における適切な範囲の知識を批判的,熟考的,専門的に使用する医療をJoanne Reeveは解釈的医療(Interpretive Meicine)と名付けた.

 

では医療者が,解釈的医療を実践するためには,何に注目すればよいだろうか.創造的能力を活性化させ,自分らしく日常生活を維持しようとする患者を支援するためにはどうしたら良いだろうか.

 

創造的能力Crietive capasityとは?

 

人々が医師のもとを訪れるのは,病気により自己の様々な側面(心理的,身体的,社会的,感情的)が傷つけられ,日常生活の体験に支障をきたしているからである.しかし,病気は必ずしも否定的な一面ばかりだけではない. Carelは病気の持つ破壊的な影響が適応性を促進する可能性があることを提案した.病気がもたらす適応は,極めて個人的で創造的な反応で「逆境は創造的反応の源」となる.つまり,病気という逆境が発展をもたらすのだ. 生活の中で病気とともに生き,病気に適応していくのだ.

 

この病気に適応する過程で身につけた能力を創造的能力(Crietive capasity)と呼ぶ.例えば,脳梗塞による片麻痺によって移動能力・生活能力が低下してしまった患者が,ベッドの周りをまるでコクピットのように自分が生活しやすい環境を作り出したりする.この過程は,病気とともに生きる人が,日常生活を維持するために「自己管理」を行ったことによる賜でありまさに創造的能力である.この創造的能能力の高さはこれまでの人生で向き合ってきた課題の質や量に大きく左右され,各個人で異なると考えられ,個人に合わせた支援が必要と考えられる.

 

この創造的能力を活性化させる際に,医師との相互作用は支援の源となりうる.医師が,個人の病いの体験の個人的,統合的,解釈的な説明を共同で構築できれば,創造的能力と日常生活を支援し,さらに向上させるプロセスを特定できる.さらに医師-患者関係が支持的環境となり,創造的能力の開発を支えることが出来るだろう.

 

一方で,病気に関する医学的説明が個人の主体性の概念を考慮しない場合は,人々の自己決定力を弱める可能性があり支援に失敗する.患者が自分の状態に「乗っ取られる」ことなく,日常生活を続けるためには,病気を管理するアプローチに対する患者と専門家の期待との間のギャップ,および現在の研究ベースの診療ガイドラインと患者およびGPのニーズとの間のギャップを意識する必要がある.エビデンスと個人の経験との間の不整合に対処出来なければ,しばしばポリファーマシーや服薬中止の判断の困難さにつながり,患者と医療従事者双方にとって問題となる.意思決定には,病気と自己に関するさまざまな説明の識別と統合が明確に含まれ,医療従事者と患者の間で,病気に関する説明と個人の創造的能力を最もよくサポートする「管理計画」を解釈することが重要である.このことは,慢性疾患や再発性疾患,つまりプライマリケアに提示される疾患体験の多くに対処する際に,特に関連性が高い.

 

これまで述べてきたように医療従事者との相互作用や知識の使用は,創造的能力を支えることも損なうこともあるため,「どんな」エビデンスを使うかではなく,エビデンスを「どのように」使うかに焦点をシフトする必要がある.最良の知識とは,患者と医師が病気についての説明を構築する際に適切にサポートするものであり,個人が自分の人生を生きるための創造的能力をサポート損ねることのないものである.エビデンスを適用する際には,患者の創造的能力を尊重したい.

 

創造的能力を支えるためには,患者の日常生活を継続させるためのニーズをサポートするために,内外の知識を批判的に統合し解釈する能力が必要である.この知的能力は,まさに専門的な知識と経験に由来するもので,専門的な訓練によって継承され,現役の専門家の直感的あるいは暗黙的な知識の中に見出されるものであり,まさに「総合診療医の専門性」を示すものであろう.

 

創造的能力の支援というGPの役割は消費者主義的なアプローチではなく,健康を維持するための持続可能なアプローチの開発を支援することで,コミュニティを促進することができる.創造的で有能な市民を支援することができ,持続可能な地域社会の発展や社会資本の強化にも寄与することが可能であろう.

 

最後に 

 

病気は単なる病気ではなく,人々の生活を続ける能力を大きく脅かすものである.医師との相互作用は,自己の能力を支える重要な役割を果たし,人々が生活を続けていく糧となるものである.この生活を続けていく能力に焦点を当てて,創造的能力を活性化させることで患者中心のケアを提供し,持続可能なアプローチの開発を支援することにつながるだろう.総合診療医・家庭医は現在,この役割を果たすのに十分な立場にある.

 

総合診療・家庭医療レジデントにおける葛藤は,総合診療の専門性である解釈的医療が,現在の病理学的疾患モデルと異なった性質を持つことを知らないことが一因だと考えられる.次稿では,Reeveが提唱するUNITED MODEL OF PRIMARY CAREとShahの解釈ウインドウを紹介し,総合診療の専門性に関する考察を深めていきたい.

404 NOT FOUND | Family Medicine 大学
家庭医療(Family Medicine)をすべての医療者に届けたい。家庭医療に関するTopiscを紹介。

 

コメント

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